左目に比べて右目の視力が少し低い。生活するのに不便は無いが、疲れてくるとピントが合わず世界がぼやけて見え始める。ふと気になって、右目だけ、左目だけの見え方を確認してみる。疲れていてもそうでなくても、右目側の像だけが少しぼんやりしている。違うのは「両目で見ているはずの映像」だけだ。 なんとなくだけど、普段は左目の見え方を元に右目の見え方を補正して、ピントの合った「映像」を作り出し「それ」を見ているのではないかという感じがする。 疲れると「映像」を作る機能が低下して「両目で見ているはずの映像」が「それぞれの目で見ているもの」に近づいているのではないか。となると、正気の状態では目の前のものが見えていない可能性がある。正気を持って暮らしていることに多少の疑問を感じるが、目の前のものを見ずともそこそこ快適な暮らしが送れるのであればそれはそれで良い気がするし、疲れたときに見えてくる補正のない、ぼやけた世界にお得感が出てきて認識の奥行きが生まれるので案外悪くないかもしれない。
Thu.13.July.2023
Thu.13.July.2023
Thu.13.July.2023
左目に比べて右目の視力が少し低い。生活するのに不便は無いが、疲れてくるとピントが合わず世界がぼやけて見え始める。ふと気になって、右目だけ、左目だけの見え方を確認してみる。疲れていてもそうでなくても、右目側の像だけが少しぼんやりしている。違うのは「両目で見ているはずの映像」だけだ。 なんとなくだけど、普段は左目の見え方を元に右目の見え方を補正して、ピントの合った「映像」を作り出し「それ」を見ているのではないかという感じがする。 疲れると「映像」を作る機能が低下して「両目で見ているはずの映像」が「それぞれの目で見ているもの」に近づいているのではないか。となると、正気の状態では目の前のものが見えていない可能性がある。正気を持って暮らしていることに多少の疑問を感じるが、目の前のものを見ずともそこそこ快適な暮らしが送れるのであればそれはそれで良い気がするし、疲れたときに見えてくる補正のない、ぼやけた世界にお得感が出てきて認識の奥行きが生まれるので案外悪くないかもしれない。